『墓の彼方からの回想』試訳

墓の彼方からの回想 フランソワ=ルネ・ド・シャトーブリアン

 

第三冊

 これらの回想録に記した最後の日付、ラ・ヴァレ=オ=ルー、一月、1814年、から、今日の日付、モンボワッシエ、七月、1817年、まで三年と十ヶ月[六ヶ月]が経過した。帝国の崩壊は聞こえただろうか? 聞こえてはいない。これらの場所で安らぎを乱したものはいなかった。帝国は、しかしながら、沈んだ。人知れぬ小川の流れのなかでひっくり返るローマの残骸のように、わたしの生へと膨大な量の瓦礫が崩れ落ちてきた。だが関わりのない人間にとって出来事は重要ではない。永遠の手のなかから抜け出した数年の月日が終わりなき沈黙によって全ての擾乱を裁く。

 先行する書冊はボナパルトの絶え入る圧政のもと、彼の栄光が放つ最後の燦めきの微光のなかで書かれた。この巻はルイ十八世の統治のもと取り掛かる。国王らを間近にみたことで、わたしが語りを続ける更に甘いキメラのように、わたしの政治的幻想は消失した。再びわたしにペンを握らせるものについてまずは話そう。人の心は万人のおもちゃであり、どれほど軽薄な状況が喜びや痛みを引き起こすか見越す手段はない。モンテーニュは気づいた: 《魂を揺さぶるのに——彼曰く——原因は必要ない。原因や主題なしの空想が魂を牛耳り揺さぶりかける》。

 わたしは今モンボワッシエ、ボースとペルシュの境界のうえにいる。コルベール=モンボワッシエ伯爵夫人たる人物の所有だったこの土地の城は革命中に売却され解体された。鉄柵によって隔てられ、かつては門番小屋として機能していたふたつの別館だけが現存している。現在英国式となっている庭園は以前有したフランス的な規則性の痕を留めている。真っ直ぐ伸びた道、シデの並木通りによって区切られた萌芽林が真面目な雰囲気を与えている。没落ほどに喜ばしい。

 昨日の夕方、ひとりで散策を行っていた。空は秋のそれに似ていた。冷たい風が間欠的に吹いていた。雑木林を抜けながら、陽をみるため立ち止まった。二百年前にガブリエル[・デストレ]が住み、そこから沈む夕日をわたしのように眺めていたアリュイの塔のうえに掛かる雲へと陽は浸かっていった。アンリ[四世]とガブリエルはどうなったんだろうか? この回想録が世に出るころの、わたしの有様は。

 カバノキの最頂部の枝にとまるツグミのさえずりによって内省から引きずり出された。すぐさまその魔術的な響きが父の領地をふたたび眼前に浮かび上がらせた。わたしは目撃者になったばかりの大惨事を忘れ、突然過去へと運ばれながら、同じようにツグミがしばしば鳴くのを聞いた田舎を再訪した。当時耳を澄ましていたわたしは、今日のように悲しくなっていた。だがあの初めての悲しみは、未経験ゆえの幸福への曖昧な欲求から生じていたものであった。現在わたしの感じる悲しみは評価され判断される物事の知識に端を発している。コンブールの森のなかでの鳥の詠唱はかつて達することのできるはずだと考えた幸福を支えていた。モンボワッシエの庭園における同じ詠唱は、一方、あの捉えることのできない幸福を追い求めて失われた日々を思い出させる。もう学ぶことは何もない。誰よりも素早く歩き、生を一回りした。時間は逃げ去り、わたしを引っ張り回す。この回想録を書き終える確信すらわたしは有していない。一体いくつの場所で既に書き始めていて、いくつの場所で終わらせるのだろう? どれほどの時間、森の端を散策することになるのだろう? 残された僅かな瞬間を有益に使おう。わたしがまだ触れていられるうちに、急いで若き日々を描写しよう。魅力的な海岸を永久に捨て去った航海士が、遠ざかりじきに消え去る大地をみて日誌を書く。

 コンブールへの帰還に際し、どのように父と母、そして姉ルシルが出迎えたかは話した。

 三人の姉が結婚し、フジェール周辺の新たな家族の土地に移り住んだことは、忘れていないだろうか。野望が発展し始めたわたしの兄はレンヌよりもしばしばパリを訪れた。手始めに、転売して軍の世界に入るため訴願審査官の身分を買い取った。そして王立騎兵連隊に加わった。外交団のため尽力し、ロンドンまでラ・ルツェルン伯爵のお伴をし、そこでアンドレ・シェニエと会った。われわれの問題が突然生じたとき、ベニス大使の職を得る一歩手前のところまで来ていた。兄はコンスタンティノープルの大使職を願い出た。だが宮廷派との会合にたいする返礼として当職が約束されていた侮りがたい競合者ミラボーがいた。わたしの兄は、そのため、わたしが生活し始めたのと前後してコンブールを去っていった。

 自らの領地に隠居していた父はもはや外に出ることがなく、三部会の開催中でさえそうだった。母は毎年復活祭の時期になると六週間のサン=マロ滞在に出た。コンブールを嫌悪していたため、母は釈放のそれのようにその瞬間を待ち望んでいた。この旅行の一ヶ月前には、危険な企てであるかように話題となった。準備が整えられていった。馬たちには休暇が認められた。朝の二時に起きるため、出発の前日は夕方の七時に就寝した。母は大きな充実感ゆえ三時には旅立ち、一日かけて十二リューの道のりを走破した。

 ラルジャンティエール参事会の律修修女として受け入れられたルシルはルミルモンの教会へと移ることになっていた。この異動を待ちながら、彼女は田舎で埋もれたままとなった。

 わたしに関していえば、ブレストから逃避したのち、聖職者を擁護する意志を鮮明にした。事実、わたしは自らが欲しているところを知らず、ただ時間だけを得ようとしていた。古典学を収めるためディナンの学び舎に送られた。わたしはそこの教師たちよりもラテン語に通じていた。それでも、ヘブライ語を学び始めた。ルイヤック神父が当学校の学長を務めており、デュアメル神父がわたしの先生だった。

 老木で飾られたディナンは古塔が守りを固めており、海面をさらに高くするランス川が麓で流れる丘のうえの絵画的な場所に築かれていた。心地よく木々の生えた斜面の谷が見下ろせる。ディナンの鉱泉水は幾らか評判である。全くもって歴史的でありデュクロを生んだこの町は古風なもののうちからデュ・ゲクランの心をみせていた。革命中に盗まれた英雄的な塵埃はこのとき色を塗ろうとする硝子職人によってすり潰されていた。祖国の敵にたいし勝ち得た勝利の絵にでも使われるところだったのだろうか?

 同胞ブルッセはわたしとともにディナンで学んでいた。毎週の木曜日か日曜日、生徒たちは泳ぎに連れて行かれ、木曜日には教皇ハドリアヌス一世に仕える聖職者、日曜日には皇帝ホノリウス配下の囚人であるかのようだった。一度は溺れてしまうかと思った。別の機会にはブルッセ氏が恩知らずのヒル、先見の明を欠いたものたちによって噛まれた。ディナンはコンブールとプランコエからそれぞれ同じ距離離れた場所にあった。わたしは叔父のベデに会うためモンショワへ、わたしの家族はコンブールへと、次々に旅立った。

 シャトーブリアン氏はわたしを留めておくのが経済的だと見出し、母はわたしの執念が宗教的使命感のなかで永らえることを望んだが、急かすのを躊躇うようになり、もう学び舎での滞在を強いて望まなくなり、わたしは気づかぬまま親元に落ち着くこととなった。

 両親がわたしの心に触れるただの思い出でしかないとしても、まだ彼らの習慣を思い出すことで気を良くすることができるだろう。けれども、更に意欲的にあの絵を再現しよう、中世の写本のなかの飾り模様を透写したようにみえるだろうあの絵を。現在の時間からこれから描写する時間まで、数世紀に渡る。

 ブレストから帰還した時点で、四人の雇い主(父、母、姉、そしてわたし)がコンブールの城に住むこととなった。女性料理人一名、小間使い一名、男性召使い二名、御者一名が使用人の全体であった。猟犬一匹と老いた牝馬二頭が厩舎の隅に身を潜めていた。百の騎士や彼らの女性たち、彼らの従騎士、彼らの従者、ダゴベルト王の軍馬や猟犬の群れを垣間見ることすらめったになかっただろう領主邸にて、この十二の生きた存在が消えていった。

 一年を通して、高等法院に請願へいく途中に接待を求めたモンルエ侯爵やゴワイヨン=ボーフォール伯爵といった何人かの紳士を除けば、外部のものは城を訪れなかった。彼らは冬になると馬に乗って、鞍の前橋に銃を取り付け、狩猟用ナイフを横にはめ込み、同じく馬に乗り後方に上着掛けをつけ仕着せを運ぶ従者を引き連れて、到着した。

 常に強く儀礼的であった父は脱帽した状態で外階段のうえに立ち、雨風に打たれながら出迎えた。迎え入れられた田舎者貴族はハノーファーでの戦争や、家族問題、自らが抱える訴訟の経緯を語った。夕方には北の塔まで連れていき、金塗りのキューピッド四体が支える緑の綿紗と真紅の絹の二重カーテンが掛かった七ピエもの大きさの寝台があらゆる方向を占める、クリスティーナ王女を讃えるための部屋を見せた。翌朝、大広間へと降りていき、濡れ浸った田園、もしくは氷霧で覆われた田園を窓から眺めたとき、ただ人気のない池の土手道を行く二三の旅行者だけを見かけた。それはレンヌへと馬乗りで向かう客人だった。

 これらの余所者は人生の物事についてよく知り得ていなかった。それでも、彼らによってわれわれの視界は森の地平線を超えた数リュー先まで開けた。彼らが去るとわれわれはすぐに家族と差し向かいの平日や、村の住民や近隣の紳士らとの社交に費やされる日曜日に収まった。

 日曜日、天候の優れた日には、母とルシル、そしてわたしは小さなメル通り経由で田舎道に沿い小教区へと向かった。雨天の折はコンブールの悍ましい通りを進んだ。われわれは、マロール神父のように、ハンガリーでトルコ人から収奪した四頭の白馬が牽引する軽いチャリオットに引っ張られることもなかった。父は復活祭に際し聖体拝領を執り行うため、一年に一度だけ、小教区へと降りていった。残りの月日は城の礼拝堂でミサを聞いていた。領主用の長椅子につくと、われわれは祭壇に隣接したルネ・ド・ロアンの黒大理石の墓を前にして薫香とお祈りを受けた。人の名誉のイメージ。棺を前にした薫香の数粒!

 日曜の気晴らしはその日のうちに途絶えた。それは定期的なものでもなかった。天気の優れない季節のうちは、われわれの要塞の扉をどの人間も叩くことなくまるまる数ヶ月が過ぎた。悲しみがもしコンブールのヒースのうえでも大きければ、城ではさらに大きかった。ひとは穹窿のもとへ入り込みながら、グルノーブルの僧院へ入るときと同じ感覚を経験していた。1805年に後者を訪ねたとき、常に成長しようとする砂漠を横切った。それは修道院で尽きるものだと考えた。だが修道院の同じ壁のうちで森よりも投げやりであったカルトジオ会の庭を見せられた。ついに記念物の中心で、これら全ての孤独に幾重にも包まれた共住修道士の古い墓地を見つけた。場所の神性たる永遠の静寂が周囲の山のうえや森のなかにその力を及ぼす聖域。

 コンブールの城の陰鬱な穏やかさは父の寡黙かつ非社交的な気質によって高まりを見せた。家族とその人々で周囲を固める代わりに、彼らを建物の全方位に散らばらせた。父の寝室は東の小塔のなかに置かれ、書斎は西の小塔にあった。書斎の家具は黒革の椅子三脚と肩書や称号で覆った机一台から構成されていた。シャトーブリアン一族の系図が張り巡らされたマントルピースがあり、窓の銃眼には拳銃からラッパ銃に至るまでありとあらゆる種類の武器を見ることができた。母の部屋は大広間のうえの、二つの小塔の間に君臨していた。床は寄木張りであり、部屋はベニス製の切子細工で装飾されていた。姉は母の部屋に付いた小部屋で暮らしていた。小間使いはそことは逆の、大塔のコール・ド・ロジで就寝していた。わたしはというと、内庭から城の様々な箇所へと通じる小階段塔の、頂きにある分け隔たった独居房の類に巣ごもった。この階段の底の部分では、父に仕える部屋係と使用人が曲面天井の地下倉に置かれ、女性料理人は西の太い塔に駐屯していた。

 父は、冬も夏同様、朝の四時に起床していた。小階段塔の入り口で部屋係を呼び起こすために内庭を訪れた。五時には父のもとへと珈琲が運び込まれた。それから正午まで書斎で働いていた。母と姉は朝の八時になると自らの部屋でおのおの朝食を取った。わたしには決まった時間に起床したり朝食を取ったりする習慣がなかった。正午まで勉強する想定だった。そうした時間の大部分は何もせずに過ごした。

 十一時半には昼食を知らせる鐘が鳴り、食事は正午に供された。大広間は食堂と客間を兼ねていた。東側の端で昼食と夕食を取った。食後、西側の他端、巨大な暖炉の前へと着いた。大広間は木造であり、灰白色で塗られ、フランソワ一世の治世からルイ十四世の治世までの古い肖像画で飾られていた。これらの肖像画のなかでは、コンデ公とテュレンヌのそれが際立っていた。トロイの壁のしたでアキレスによって殺されるヘクトルを描いた絵画が暖炉の上に掛かっていた。

 昼食を終え、二時まで一緒に過ごした。それから、夏であれば、父は魚釣りに興じ、野菜園を訪ね、相続した領主邸辺りの土地を散策した。秋か冬であれば、父は狩りに出かけ、母は幾時間かを祈りながら過ごす場所、礼拝堂へと退いた。それは暗い小礼拝堂であり、特に優れた名匠の手による良き絵画で美化されており、ブルターニュの奥深くにある封建時代の城で発見することなど予期し難いものだった。わたしはこの礼拝堂から引っ張ってきたアルバーニの『聖家族』——銅板の上に描かれた作品——を現在保有している。これがコンブールの形見の全てである。

 父は出発し、母はお祈り中であり、ルシルは部屋に閉じこもった。わたしは独居房へと帰るか、野原を駆けに出た。

 八時には鐘が夕食時を知らせていた。夕食後、心地よい季節のただなかで、みな外階段のうえに座った。小銃を所持していた父は、宵の口に胸壁から出てきたフクロウを撃った。母とルシル、そしてわたしは空や木々、太陽が発する最後の光線、そして最初の星々を見つめていた。みな十時には戻り、眠りについた。

 秋と冬の夕暮れは別の性格を有していた。夕食を終え、四名の会食者は机から暖炉へ戻り、母がため息を吐きながら交織布の古い寝椅子に横たわった。蝋燭を乗せた円卓が母の前に置かれた。わたしはルシルとともに火の前に座った。使用人たちが食器を片付け、下がった。それから父は就寝の時刻まで止むことのない散策を開始した。ごわごわした羊毛のガウン、より正確にいえば父の所有物としてしか見たことのない外套の類を着ていた。半分禿げた頭は真っ直ぐに保たれた大きく白いボンネットで覆われていた。父が漫ろに歩きながら暖炉から遠ざかったとき、もはや父が見えぬほど広大な部屋は単一の蝋燭でわずかに照らされていた。まだ暗闇の中をゆく音だけは聞こえた。それからゆっくりと光のほうへと戻ってきて、幽霊のように、白いガウンと白いボンネット、長く青白い顔を伴って、薄暗がりから少しずつ現れた。父が部屋の対極にいたとき、ルシルとわたしは低い声で幾つかの言葉を交わした。近づいてきたとき、われわれは押し黙った。通り過ぎながら言った: 《何を話していたんだい?》。恐怖に捕らわれ、何も答えなかった。父が再び歩きだした。残りの晩は、父の一歩一歩が立てる測ったような音、母の嘆息、風のざわめきだけに耳が打たれた。

 城の時計が十時を告げた。父は停止した。時計の槌を持ち上げる同じ発条が父の歩みを止めたようだった。腕時計を引っ張り出し、装着して、大きな蝋燭を乗せた銀製の大きな燭台を取り、少しのあいだ西の小塔へと入り、燭台を手に持って戻り、東の小塔に備えられた自らの寝室へと進んだ。ルシルとわたしは父の進路に立った。父におやすみの挨拶をしながら口づけをした。父は返答することなしに乾いて窪んだ頬をわれわれへと傾け、通路を進んで、背後でその扉が再び閉じられるのを聞く塔の奥深くへと退いた。

 御守が壊れた。父の現前によって彫像へと変えられていた母と姉、そしてわたしは生の機能を取り戻した。魔法が解けたことによるはじめの影響は言葉の横溢によって明らかに示された。もしも沈黙がわれわれに伸しかかれば、大きな犠牲を払うことになった。

 この言葉の洪水が流れ去れば、わたしは小間使いを呼び、母と姉の部屋まで母たちに付き添った。わたしが退くまえに、自らの寝台の下や暖炉の中、扉の裏を眺めさせ、階段や通路、隣接する廊下を訪ねさせた。城のすべての伝統と泥棒、幽霊が彼女たちの記憶から想起された。三世紀前に死去した、足が木でできているコンブールのとある伯爵がある時代になると現れ、小塔の大階段で目撃されると人々は信じ込んでいた。その木の足はたまに黒猫だけを伴って散策していたとも。

 これらの物語が母と姉の眠りの全時間を占有していた。母たちは恐怖で死にかけながら寝台へと入っていった。わたしは小塔の頂きへと退いた。女性料理人は太い塔へと戻り、使用人たちは地下へと降りていった。

 わたしの天守の窓は内庭のうえへと開くようになっていた。日中、眺めの中に正対するカーテンウォールの、コタニワタリが生い茂り野生のプラムが成長している胸壁があった。夏のあいだ鳴きながら壁の穴へとはまり込む何羽かのアマツバメが唯一の同朋だった。夜に見えたのは空の僅かな断片と数個の星々だけであった。月が輝き、西へと沈むとき、菱形の窓ガラスを経た月の光線が寝台へそれを知らせに来るのだった。一方の塔から他方へと飛び回るフクロウが月とわたしとの間を往来しながらカーテンの上に翼の動く影を描いていた。最も人気のない箇所であった回廊の入り口へと追いやられながら、わたしは闇のささやきを聞き損なうことがなかった。幾度か、風が軽い足取りで走ったように見えた。何度か、風が呻きを逃してやっていた。突然わたしの扉が荒々しく揺さぶられ、地下が轟きを押し上げて、そして、それらの騒音が途切れ、また繰り返されようとするのだった。朝の四時、数世紀つづく穹窿の入り口で部屋係を呼ぶ城主の声が夜の最後に現れる亡霊の声のように聞こえた。この声はわたしにとってモンテーニュの父が出していた息子を起床させる音の甘い調和の代わりだった。

 息子をひとりだけで塔の頂きに寝かせることへのシャトーブリアン伯爵の頑固さはいくらか不便になり得た。だがそれがわたしにとって有利に働いた。わたしを取り扱うためのこの暴力的な方法が、今日では人々が若者から剥奪しようとしている想像の感覚を取り上げることなしに、男の勇気を残した。亡霊などいないことを説得しようと模索する代わりに、勇敢に立ち向かうことをわたしに強いた。父が皮肉な笑みを浮かべて《騎士殿が怯えておいでに?》と言うとき、わたしは死人と寝かせられるところだった。わたしの素晴らしい母が《わが子よ、全ては神のお許しによって行われるのです。よいキリスト教徒である限り、悪い霊を恐れる謂れはないのです》と言うとき、哲学的議論の何もかもより安心させられた。夜の風が見放された塔のなかでの気まぐれにとって遊具であり夢にとって翼でしかないほど、わたしの成功は完全だった。火が灯されたわたしの想像は全ての事物へと広がり、何処にも十分な糧を見つけ出すことなく、やがては地と天を貪っただろう。いま記述されるべき人為的存在がこれである。再び自らの若さへと浸り、過去のなかで自らを掴もうと、これまで耐えてきた拷問に反しすでにそうではなくなったことを後悔するかもしれない自分の以前の有り様によって自らを示そうと、試みる。

 ブレストからコンブールへと戻ってすぐ、ひとつの革命がわたしの存在のなかで生じた。子供が消え、過ぎ去る喜びと留まる悲しみを伴って大人が姿を現した。

 第一に、情熱そのものを期待しながら、すべてがわたしに宿る情熱となった。あえて話したり食したりすることもない沈黙の夕餉を終え、逃げ果せるとき、わたしの激情は信じがたいものだった。外階段を一息に降りることができなかった。落下でもしていただろう。自らの動揺を鎮めるため階段の一段に座らざるをえなくなった。だが緑の庭と木々とへ到達するや否や、わたしは走り始め、飛び上がり、跳ねて、燥ぎ回り、体力を使い果たし胸が高鳴り浮かれ気分と自由さとで酔いしれ転げ落ちるまで、愉悦し始めた。

 父は狩りに行くときわたしを付き添わせた。狩りの味がわたしを捉え、わたしはそれを熱狂にまで推し進めた。わたしの初めての野うさぎを殺めた野原がまだ見える。秋にはしばしば帯革まで水のなかに四五時間浸かり、池の端で野鴨を待つことがあった。今日でも、犬が立ち止まったときには、血を滾らさずにはいられない。それでも、狩りに対するわたしの初めての熱意に、自立性の根本が関わりをみせた。側溝をまたぎ、野原や沼々、ヒースを大股で踏破し、力と孤独を有しながら、人気のない場所で小銃を持っている自分に気づくこと、それがわたしの自然な在り方であった。道筋においてわたしは、もはや歩けぬほど遠く、守衛らがわたしを絡み合わせた枝の上に乗せ、連れ戻さなくてはならぬほど、遠くで姿を見せた。

 しかしながら、狩猟の喜びではもう不十分だった。解決も理解もできない幸福への欲求に掻き乱されていた。わたしの精神と心が二棟の空っぽの神殿のように、祭壇もなしに、犠牲もなしに、形成し終えていた。そこではまだ神が崇められるかどうか知られていなかった。わたしは姉ルシルのそばで育った。われわれの友愛が人生のすべてだった。

 ルシルはすらりとして特筆すべき美しさを有していたが、真面目だった。彼女の青白い顔には長い黒髪が伴っていた。悲しみや火で満ちた眼差しをしばしば空へと注ぎ込んだり、辺りに巡らせていた。彼女の足取り、声音、笑顔、顔つきが、夢想家や苦悩者の何かを有していた。

 ルシルとわたしは互いにとって無用な存在だった。世界について話しながらも、その世界とは自分たちが内部に抱えていたものであり、真の世界には殆ど類似しないものであった。彼女はわたしを保護者として見ており、わたしはルシルのことを友人として見ていた。わたしが散らすのに苦労した暗い思想の発作が彼女を捉えていた。十七歳のとき、彼女は若き日々の消失を嘆いた。修道院に骨を埋めることを望んでいた。彼女にとってすべてが心配事であり、悲しみであり、痛手だった。自ら探していた表現、自ら化したキメラが丸数ヶ月彼女を苛んだ。よく一方の手を頭の上に投げて、動きや生気もなく夢をみる彼女を目撃していた。心のうちへと引っ込み、彼女の生は外側に出るのを止めていた。胸でさえもはや起伏していなかった。姿勢や憂鬱さ、優美さが彼女を「葬儀の精霊」に似せた。そして慰安を試みるのだが、次の瞬間には、説明不可能な絶望へとわたしが沈み込んでいた。

 ルシルは晩あたりに信心深い読解をひとり好んで行っていた。偏愛していた祈祷室は野路が二本に分かれる箇所であり、石の十字架と空のなかその長い幹が筆のように聳えるポプラが印付けていた。敬虔な母は、とても魅了されながら、自分の娘が彼女にとってラウラ[散居修道院]と呼ばれる停留所で祈祷していた初期の教会のキリスト教徒を象徴するものだといった。

 魂の集中によって精神の並外れた効果が姉のなかに芽生え始めた。寝ながら、予言的な夢を見ていた。起きている間は、未来を読んでいるようだった。大塔にある階段の踊り場で、時を打つ振り子が静かに鳴っていた。不眠のルシルは階段の段へと座り込みに行き、その振り子と向かい合わせになった。床に置いたランプの淡い光のなか文字盤を見つめていた。二本の針がひとつに重なり合う正子、そのおぞましい結びつきのなか混乱と重罪の時が生じながら、ルシルは遠い死を明かす音を聞いた。8月10日の数日前にパリにいて他の姉たちとカルメル会修道院の近隣で暮らしていた彼女は鏡を一瞥し、叫び、言った: 《たった今、死が忍び込むのをみた》。カレドニアのヒースのうえであれば、ルシルはウォルター・スコットが言うところの、透視能力を授かった天上の女性であっただろう。アルモリカのヒースのうえでは、彼女は美と才能と不幸に恵まれた、ただの隠者であった。

 わたしたちがコンブールで送っていた生活は、姉とわたしの年齢や特徴に相応する高揚を増大させた。退屈しのぎの主な方法は大きなメル通りを並んで散策し、春にはサクラソウの絨毯のうえを、秋には乾いた葉っぱのベッドのうえを、冬には鳥やリスやオコジョの足跡で刺繍された雪のテーブルクロスのうえを、行くことだった。サクラソウのように若く、乾いた葉っぱのように悲しく、真新しい雪のように純粋であり、気晴らしと自分たちのあいだには調和が存在していた。

 ひとりでいることの恍惚を話すわたしに耳を貸していたルシルが発言したのは、この散策の最中であった。《それをすべて描き出すべきだわ》。この言葉がわたしにミューズを明かした。神々しい一息がわたしに掛かった。詩句をたどたどしく、あたかもそれが母語であるかのように発し始めた。昼夜、わたしは自らの喜び、すなわち、木々と小さな谷を歌っていた。短い牧歌や自然の絵を沢山構成した。散文でものを書き始めるまえに、長い間、詩句を書いていた。フォンターヌ氏はわたしが二つの手段を授かったと主張した。

 友情が約束するところのその才能は今までわたしに生じたであろうか? 一体いくつの事柄を徒にも予期し続けただろう! アイスキュロスの『アガメムノーン』のなかで一人の奴隷がアルゴスにある宮殿の高みで見張りに立たされた。彼の目は船の帰還のため取り決められた信号を見つけ出そうとする。寝ずの番を活気付けるため歌うが、幾時間かの時が速やかに過ぎ去り、星々が沈み、松明はもはや輝きを失っていた。何年もののち、遅ればせながら光が波のうえに現れたとき、奴隷は時の重圧のなかでしゃがみ込んだ。彼に残されたのは不幸集めの他になく、コロスは彼に向かい言う: 《老人は日の光のなかで移ろう陰》 Ὄναρ ἡμερόφαντον ἀλαίνει

 初めて着想に魅了されたわたしは、自らの模倣をルシルに勧めた。互いに相談し合いながら日々を過ごし、これまで何を行ってきたか、これから何をするつもりであるのか、伝えあった。共同作業に取り掛かった。自らの直感に導かれ人生に関するヨブとルクレティウスのこの上なく美しくこの上なく悲しい数節を訳した。Tœdet animam meam vitæ meæ[わが魂は萎えて生を厭い]、Homo natus de muliere[ひとは女から産まる]、Tum porro puer, ut sævis projectus ab undis navita[そして子はまた船乗りみたく波に揉まれ]、など。ルシルの考えは感情一辺倒だった。そうした考えは自分の魂から難儀して抜け出ていた。だがそれを表現し得たとき、この上ないものとなった。ルシルは約三十ページの手稿を残した。読んで心を深く動かされずにはいられないものだ。それらのページの優雅さ、甘美さ、幻想、情熱的な感性はギリシャの天才とゲルマンの天才の混成を見せる。

曙光

 《なんて甘い光が東方を照らしに来るの! 眠りの物憂さを負った美しい両目を世界に半分だけ開いているのは若きアウローラ? 素敵な女神よ、早く! 婚礼のベットを抜けて、紫のドレスを着て。柔らかな帯を結び目のなかに留めて。どんな履物もあなたの繊細な足を圧しないように。一日の扉を半開きするためのあなたの美しい手をどんな飾りも冒涜しないように。だけども、あなたはもう陰った丘のうえに立っている。あなたの黄金の髪は薔薇色の襟のうえの湿った巻き毛のなかへと落ちる。あなたの口からは純粋で香しい息が吐かれる。やさしい女神、あらゆる自然があなたの現前に微笑みかける。あなたは一人っきりで涙を注ぎ、花々が生まれる。》

月へ

 《貞淑な女神よ! 慎みの薔薇でさえあなたの柔らかな光に混じることのない、それほど純粋な女神、敢えてわたしはあなたに気持ちを打ち明ける。自分の心を恥じる必要などあなたほどにはない。だけど時々、人々の不公平で盲目な判断の記憶によってわたしの額はあなたの額のように雲で覆われる。あなたの場合のように、この世界の間違いや悲惨さがわたしの夢を生じさせる。だけどわたしより幸福な、天空の市民たるあなたは、常に平静を保っている。わたしたちの球体から立ちのぼる嵐と雷雨があなたの平穏な円盤を滑ってゆく。わたしの悲しみにたいし親切な女神よ、あなたの冷たい安らぎをわたしの魂に注いで。》

無垢

 《やさしく無垢な天の子よ、もしもあなたの特徴をもとに幾つかの脆い描写を敢えて試みたなら、あなたを幼少期の徳、人生の春における叡智、老年の美、不幸中の幸い、そうしたものの代わりだと呼んだだろう。わたしたちの誤りにとって未知な、純粋な涙だけを注ぐあなた、あなたの笑みは天上のものだけから成っていると言っただろう。﨟たし無垢! だけどそれは! 危険があなたを取り巻く、妬みは特徴のすべてをあなたに差し向ける。謙虚な無垢、あなたは脅える? あなたをおびやかす危機から身を守ろうとする? いいえ、わたしはあなたが立って、寝て、祭壇に頭をもたせかけているのをみる。》

 わたしの兄はときどきコンブールの隠者に僅かばかり時間を割いた。彼とともにブルターニュ高等法院の若き評定官、不幸な同名の詩人のいとこであるマルフィラートル氏を連れてくるのが習慣だった。思うに、ルシルは知らぬうちに隠れた情熱をこの兄の友人にいだき、その窒息した情熱が姉の憂鬱の底にあった。一方、誇りもなしに、ルソーへの偏愛を有していた。彼女は自分に対し世界中が陰謀を企てていると信じていた。1789年、ルシルは崇高さが刻印された優しさでその喪失を嘆くことになる姉ジュリーに付き添ってパリへと赴いた。マルゼルブ氏からシャンフォールに至るまでルシルを知るものは皆彼女に見とれていた。レンヌにある革命派の地下聖堂へと投獄され、恐怖政治のあいだ牢屋と化していたコンブールの城に再び閉じ込められるところだった。監獄から釈放され、彼女は一年ののち自らをやもめにするコー氏と結婚した。亡命を終え、わたしはこの幼少期の友人と再会した。神が好んでわたしを悲嘆に暮れさせたときのこと、どのようにして彼女が消え去ったのかについては、いずれ話す。

 モンボワッシエから戻り、隠者の住処たるわたしの土地でしたためた最近の数行をここに示す。ひしめく序列のなかですでに自らの父を匿い戴冠した美しい青年たちで満ちる全てを放棄せねばならない。わがフロリダ女性[『アタラ』]の墓にその薔薇色を誓ったモクレン、ヒエロニムスの記憶に捧げられたエルサレムのマツとレバノンのヒマラヤスギ、グラナダのゲッケイジュ、ギリシャのプラタナス、アルモリカのオーク、わたしが根本でブランカ[『アベンセラヘス』]を描き、シモドセ[『殉教者』]を歌い、ヴェレダ[『殉教者』]を創案したこれらの木々をもはや見ることもない。それらの木々はわたしの夢想とともに生まれ、育まれた。夢想は木々のハマドリュアデスだった。木々は別の帝国のもとを過ぎようとしている。わたしが愛したように、新しい主人は彼らを愛するだろうか? 彼らを衰弱させ、切り倒してしまうかもしれない。わたしが地上に何かを残すべきではない。コンブールの木々にかつて告げた別れを思い出すのは、オルネーの木々へと別れを告げているときだ。わたしの全ての日々は別れの挨拶だ。

 ルシルが息を吹き込んだ、詩に対するわたしの嗜好は、火に注ぐ油であった。わたしの感情は新たな度合いの力を有した。わたしの精神を名声の自惚れが通った。自らの「才能」を少しのあいだ信じたものの、すぐさま正当な自己不信に帰り、その才能を、わたしが常々そうしてきたように、疑い始めた。自分の作品は悪い誘惑だと見做していた。不幸な傾倒をわたしのなかに生じさせたルシルを恨んでいた。わたしは書くのをやめ、人が去りし栄光を思い涙するように、わたしは来たる栄光に対し泣き出していた。

 最初期の無為に戻り、青年期に失われるものを益々感じることとなった。わたしにとって自分自身が謎であった。困惑することなく女性を見ることができなかった。女性が話しかけてくれば、顔を赤らめていた。わたしの臆病さはすでに皆のため過剰であったものの女性と一緒であれば、その女性と二人っきりでいる拷問より得体のしれぬ拷問を優先するほど、大きなものとなった。彼女が立ち去れば、すぐさま、彼女の再訪を一切において願った。ウェルギリウス、ティブッルス、そしてマシヨンの絵はわたしの回想によく現れていた。だが全てを純粋さで覆い尽くす母と姉のイメージは自然が持ち上げようとするベールを厚くした。子と弟への優しさが無私無欲でない優しさに関しわたしを欺いた。後宮のこの上なく美しい奴隷たちがわたしの元に届けられれば、尋ねるべきことも定かではなかっただろう。偶然がわたしを輝かした。

 コンブールの土地の隣人がとても綺麗な夫人とともに城へと数日間の滞在に来た。村で何が起こったのかは分からない。人々が大広間の窓に駆け寄り、眺めだした。そこに一番早く着いたわたしの跡を余所者たちが追い、わたしは場所を譲りたくなり、彼女の方を向いた。思わず彼女が道を塞いだため、自分が窓と彼女との間で押されていると感じた。もはやわたしの周囲で何が生じたのか分からなかった。

 この瞬間から、わたしには馴染みのないやり方で愛し愛されることが至上な幸福であるに違いないと予見していた。もし他の人物が行うことをしていたのなら、わたしがその胚芽を抱えてきた情熱の痛みや喜びをすぐに学んだであろう。だが全てがわたしのなかで尋常ではない特徴となった。想像と謙虚と孤独の熱意がわたしを遠くへと投げ出す代わりに自分の殻に閉じこもらせた。現実の対象を失していたがゆえに、曖昧な欲望の力によってわたしから決して離れることのない幽霊を呼び出した。ひとの心の物語がこの性質にかんする他の事例を提供できるかは分からない。

 それゆえわたしはこれまでに見てきた女性たち全員から一人の女性を作り上げた。彼女の体つき、髪の毛、笑顔は、わたしを胸に押し付けたあの訪問客のものであった。村の若い娘が有するような目や、もう一人の娘の瑞々しさを彼女に授けた。広間を飾るフランソワ一世、アンリ四世、ルイ十四世の時代の偉大な女性たちの肖像画が別の輪郭を与え、わたしは教会に吊り下げられていた聖母の絵からも気品を盗んだ。

 この魅力的な人物は姿を見せぬまま何処までもわたしを追いかけた。現実の存在とのように彼女と対話していた。わたしの狂気次第で彼女は如何様にも変化した。ベールなしのアプロディーテー、空と露を纏ったディアーナ、微笑みの仮面をつけたタレイア、若さの器を手にしたヘーベー、しばしば彼女はわたしに自然を従わせる妖精となった。止むことなしにキャンバスに手を加えた。美から魅惑を取り除き、他で置き換えようとした。装身具も取り替えた。至る国、至る世紀、至る芸術、至る宗教から、それを拝借していた。そして傑作を仕上げたとき、再び線と色を散らばらした。わたしのただ一人の女性は、一緒くたに崇拝していた魅力を個々に偶像化した先である、数多くの女性たちへと変身した。

 ピュグマリオーンもこれほど彫像には恋しなかった。我が人物に気に入られようと困惑した。愛されるために必要なものを何一つ自分のなかに見出さずに、欠いているものを自らに振りまいた。カストールとポルックスのように乗馬した。アポローンのように竪琴を弾いた。マールスもこれほどの力と器用さでは武器を取り扱わなかった。小説か物語の英雄たち、わたしは一体どれほど架空の冒険を虚構のうえに積み上げただろうか! モーヴァーンの娘たちの影、バグダードとグラナダのスルターン、古びた領主邸の女主人たち。浴槽、香水、舞踏、アジアの悦楽、これらすべてが魔法の杖によってわたしに相応しいものとなった。

 ここにダイアモンドと花々で装った若き王女がやって来る(彼女はいつでもわたしのシルフだった)。真夜中になると彼女はオレンジの庭を通って、海波が洗う宮殿の回廊のなか、ナポリかメッシーナの馥郁たる浜で、エンデュミオーンの星が光を貫く愛の空のもと、わたしを探しに来る。不動の彫像や青ざめた絵画、月の光線で静かに漂白されたフレスコ画のあいだで、プラクシテレスによって命を吹き込まれた彫像たる彼女は前進する。大理石のモザイクのうえを通る彼女の走りの軽い音が波の知覚不可能なざわめきと混じり合う。王の嫉妬がわれわれを囲う。わたしはエンナの野原の女性君主に跪く。齢十六の頭をわたしの顔に向けて傾け、彼女の両手が敬意と悦楽のために震えているわたしの胸に寄りかかるとき、彼女のほどかれた王冠の絹のうねりがわたしの額を愛撫しに来る。

 こうした夢から抜け出て、栄誉もなく、美貌もなく、才能もない、誰の視線も引き寄せない、顧みられることもなく通りすぎる、どんな女性も決して愛しはしないだろう、貧しく小さい不分明なブルターニュ人たる自分を発見するとき、絶望がわたしを捉えた。もはや自らの足跡に結びつけていた輝かしいイメージから敢えて目を離すこともなかった。

 この妄想は丸二年つづき、その間、わたしの魂の機能は高揚の最高点に達していた。少しだけ話すわたしであったが、もはや喋らなかった。まだ勉学に取り組んでいたものの、本をそこらに投げた。孤独への嗜好が倍増した。暴力的な情熱が引き起こす症状すべてを有していた。両目は落ち窪んだ。体はやせ細った。もう眠ることはなかった。ぼんやりし、悲しく、熱烈で、粗暴だった。わたしの日々は野蛮かつ奇妙で突飛、しかし歓喜極まる仕方で流れ去った。

 城の北方ではドルイドの石の散らばる荒れ地が伸びていた。夕暮れ時には石のひとつに座りに行った。金色に輝く木々の頂き、地表の華麗さ、薔薇色の雲を抜けて煌めく夕方の星々、これらがわたしを夢へと連れ戻した。欲望の理想的な対象と共にこの壮観を愉しみたかっただろう。夢想のなかで日中の天体を追っていた。宇宙の賛辞として陽光で美を照らし出すため、太陽にわたしの美を導かせた。

 草の先端に張られた網を破る暮れの風、小石のうえで安らぐヒースの雲雀が現実を思い出させた。領主邸の道を引き返していた、胸を締め付けられながら、顔は俯いて。

 夏の雷雨の日には、西の太い塔の高みに登った。城の屋根裏で聞く雷鳴、塔のピラミッド型の屋根に轟きながら降ってくる雨の激流、雲に溝を掘り青銅の風見鶏に電撃の炎で印をつける稲妻、これらがわたしの熱狂をかきたてた。エルサレムの城塞に立つイスマンのように、わたしは雷を呼び求め、雷がアルミーダを運び込むのを待ち望んだ。

 もし空が穏やかであれば、わたしは柳の植わった生け垣の隔つ牧草地が囲う大きなメル通りを横切った。柳のなかで巣のように椅子を設置した。天と地の狭間で孤立しながら、そこでわたしは何時間もムシクイと過ごした。ニンフはわたしの側にいた。露の新鮮さやサヨナキドリのため息、微風の囁きに全面が満ちた春の夜の美しさと彼女のイメージを等しく結びつけていた。

 別の機会には、川岸の植物で飾られたうねりたる廃道をたどった。珍しい場所から出る音を聞いていた。それぞれの木に耳を貸した。月光が木々のなかで歌うのを聞いたと思った。これらの喜びを繰り返し発したいと思った、そして言葉は唇のうえで途切れた。それでもわたしの女神を、ひとつの声の抑揚のなかに、ハープのわななきのなかに、もしくは角笛やハーモニカの滑らかであったり流動的であったりする音のなかに、見つけていられた理由は分からない。愛の花とおこなった美しい旅路を語るには時間がかかり過ぎるだろう。手に手をとって、著名な廃墟、ベニス、ローマ、アテネ、エルサレム、メンフィス、カルタゴを訪ねるようだった。われわれは海を跨ぐようだった。タヒチのヤシ、アンボンやティモールの芳しい林に幸せを求めるようだった。ヒマラヤの山頂で明け方目覚めようとするかのようだった。ばら撒かれた波が金の仏塔を囲む「聖なる川」を下るかのようだった。竹で出来た小舟の帆柱にとまるベニスズメがインドの舟歌を歌うなか、ガンジス川の岸で眠るかのようだった。

 わたしにとって地と天はもはや何でもなかった。特に最後のことは忘れていた。だがわたしの願いをもう彼へと向けなければ、彼はわたしの隠れた悲嘆の声を聞いた。なぜならわたしが苦しんでいたためであり、苦しみは祈るからである。

 季節が悲しいものであればあるほど、わたしと調和することになった。氷霧の時期は交通を希薄にして田舎の住人たちを切り離す。人は人々から免れて心地よくなる。

 道徳的な性質は秋の風景と結びつく。わたしたちの年月のように落ちる葉っぱ、時間のように萎れる花々、幻想のように逃げゆく雲、知性のように衰える光、愛のように冷たくなる太陽、人生のように凍る川、これらがわれわれの命運と秘密の関わりを有している。

 荒天の季節の再来、ハクチョウとモリバトの水路、池の草地におけるカラスの群れ、大きなメル通り沿いで最長のオークにとまる宵の口の彼らを、言及不可能な喜びとともに見ていた。森の交差点で黄昏が青みがかった蒸気を持ち上げるとき、風の悲歌やレーが枯れた苔のなかで唸るとき、わたしは自然の全くの同情を得るに至った。休閑地の果てでとある耕作人と出会わなかっただろうか、自らが収穫されなければならない穂の影の中で芽生えるその人物が鋤車で自らの墓の土を掘り返しながら燃える汗を秋の凍った雨に混ぜるのを見るためわたしは立ち止まった。立てた畝は彼の死後も残り続ける運命の記念碑だった。こうした光景を前にしてわたしの優雅な女悪魔は何をしただろう? 彼女は魔術でわたしをナイル川の岸まで運び、ある日ヒースの下へと潜るアルモリカの畝のように砂のなかに沈んだエジプトのピラミッドを見せた。わたしは人間的な現実の輪の外に幸福の寓話を置いた自分を祝福した。

 夕方、イグサとスイレンの大きな浮葉のなか一人で舟を漕ぎながら、池の上へと乗り出した。そこではわれわれの風土から抜け出る準備のできたツバメたちが集まっていた。わたしはただの一声として彼らの囀りを聞き逃さなかった。幼少期のタヴェルニエですらそれほど旅人の語りに耳を貸すことはなかった。ツバメは落日のもと水の上で戯れ、昆虫を追い、翼を確かめるかのように一緒になって空中へと飛び出し、湖の表面に降下し、それから彼らの体重ではほとんど曲がることのない、混沌とした囀りで満たす葦に掛かりだした。

 夜の帳が下りた。葦は、羽飾りをつけた一行、バン、コガモ、カワセミ、タシギがそのなかで静まり返る、ガマと剣の野原を揺らしていた。湖は岸を打ちつけていた。秋の大声は沼と森から出ていた。舟は湖岸に乗り上げ、わたしは城へと引き返した。十時の鐘が鳴っていた。自室に戻るとすぐに窓を開け天に視点を定めながら、まじないを開始した。わたしの魔女とともに雲の上へと昇った。彼女の髪とベールに巻かれたわたしは森の頂きを揺らすため、山の天辺を震わせるため、もしくは海のうえで渦巻くため、荒天の望むままに進んだ。宙に身を沈め、神の玉座から深淵の扉まで降りてゆくと、世界はわたしの愛の力に委ねられるのだった。基本要素が混乱するなか、酩酊状態で危機の思想と快楽の思想を組み合わせた。朔風の息遣いはわたしに逸楽の溜息だけを運んだ。雨の囁きが女性の胸のうえでの眠りへといざなった。その女性に向けた言葉は老年に再び意味を与え、墓の大理石を温めただろう。わたしの狂気の源である魅惑的な人物は、処女であると同時に愛人、無垢なイヴ、失墜したイヴであり、すべてを無視し、すべてを知る、神秘と情熱の混合であった。わたしは彼女を祭壇に配し、崇めた。彼女に愛されることの誇りはさらに愛を高めた。彼女が歩けば、わたしは彼女の足元で押しつぶされるため、もしくは足跡に口づけするためにひれ伏した。彼女の笑顔には苛まれた。彼女の声音には震えた。彼女の触れたものに触れば、欲望でおののいた。彼女の湿った口から吐かれた空気はわたしの骨の髄まで浸透し、血の代わりに血管を流れた。

 彼女のただ一瞥が地の果てまでわたしを飛ばす。彼女とともにあるのであればどんな砂漠が十分でないと言えるだろう! 彼女のそばでは、獅子の洞窟は宮殿へと変わり、自らのなかで燃え上がるのを感じる火が尽きるには何百万の世紀も短すぎた。

 この熱狂に倫理的な溺愛が加わった。想像のもう一振りにより、わたしを抱きしめるフリュネが栄光や、取り分け名誉となった。彼女が最も気高い犠牲を為すときは徳であり、類まれな思考を生むときは天性であって、別種の幸せに関するアイディアはほとんど与えなかっただろう。わたしは自らの素晴らしい創造のなかに感覚の諂いすべてと、愛の喜びのすべて、その双方を見つけた。圧倒され、二重の悦楽に飲み込まれたかのように、もはやわたしは自らの真の存在が何であるのかを知らずにいた。人間であって、人間ではなかった。わたしは雲となり、風となり、音になった。純粋な精神であり、空中の存在であり、至上の幸福を歌っていた。自らの欲望の娘と溶け合うため、自らが彼女に変貌するため、もっと親密に美に触れるため、贈り与えられる情熱、愛と愛の対象のどちらにもなるため、わたしは自らの本性を脱ぎ捨てた。

 突然、自らの狂気に打たれ、褥に駆け込んだ。わたしは痛みにくるまった。虚無へと注がれる哀れな、誰も見たことがない焼けるような涙を寝台に浴びせた。

 もはや塔のなかにいられなくなったわたしはすぐに暗闇を通り抜けて降りていき、殺人者のようにこっそりと外階段の扉を開け、大きな森のなかへと彷徨い出た。

 漫ろに歩いたあと、手を揺らし、追跡の対象たる影のようにわたしから逃げてゆく風を抱きしめながら、ブナの幹に寄りかかった。一本の木から他の木にとまらせるため飛び立たせたカラスか、樹林の裸の頂きへと這い上がる月を眺めた。わたしは墳墓の青白さを反映したこの死の世界に住むことを好んだであろう。夜の寒気も湿気も感じなかった。その時間村の鐘が聞こえなかったのであれば、夜明けの凍る呼気もわたしを思考の底から引きずり出すことすらなかったであろう。

 ブルターニュの殆どの村では、普通、故人に対し明け方鐘を鳴らす。この鐘の響きは三つの連続した音から成る単調で憂鬱かつ田園的なエールの小曲を生む。存在の終わりを告げる鐘によって実在の患難へと連れ戻されることほどわたしの病み傷ついた精神に適切なものはなかった。見知らぬ小屋で息絶え、その後、劣らず無名の墓場に葬られる牧夫を想像した。彼は地上へ何をしに来たのだろう? わたし自身も、一体この世で何をしてきたのだろう? やがて過ぎ去らねばならなかったのだから、昼の重さと暑さのなかで旅を完了させるより、朝の涼しさのなかで旅立ち、早い時間のうちにたどり着くほうが価値あるものではなかっただろうか? 欲望の赤らみが顔に登った。もう存在しないというアイディアが急激な喜びのように心を掴んだ。若さの過ちのとき、幸福を生き延びないことをしばしば望んだ。最初の成功のなかに破壊を希求させたほどの幸福があった。

 幽霊に縛りつくほど、その存在しないものを愉しめなくなり、自らは捕らえることのできない至福を夢見て快楽が地獄の拷問に等しい空想を作り上げる手足を失った人物のようだった。ほかにも定められた未来の悲惨な予感があった。自らの苦しみを生み出す器用さを有したわたしは二つの絶望に板挟みとなった。あるときは自分が下品さから這い上がることのできない無価値な存在だとしか思えなかった。あるときは自らのうちに感謝されることのない資質を感じるようだった。世界を歩んだところでわたしが探しているものは何一つ見つからないだろうと隠れた本能が警告していた。

 すべてがわたしの嗜好の苦味を養った。ルシルは不幸だった。母はわたしを慰めなかった。父はわたしに生の苦悶を体験させた。年を経るごとに父の陰気さは増した。老年は体同様に魂をも強張らせた。叱りつけるため際限なくわたしを監視した。野蛮な散策から帰ったわたしが外階段に腰掛ける父を見たときなど、城に戻されたというよりむしろ殺されていたというべきだろう。それは、しかしながら、拷問を先延ばすだけだった。夕食の席につかねばならず、わたしは席の端に全く唖然として座り、頬が涙に打たれ、髪は滅茶苦茶であった。父の眼差しのもと、不動のまま留まり、汗が額を覆っていた。理性の最後の煌めきがわたしから逃げていった。

 ここでわたしは弱さを告白するためにいくらかの力が必要となる機会へと至る。自らを殺めようとする人物は本性の衰えほどは精神の活力をみせない。

 わたしは磨り減った引き金が頻繁に固まる猟銃を所有していた。この銃に三発装弾して、わたしは大きなメル通りの隔絶した場所へと向かった。撃鉄を起こし、銃身の先を口に入れ、銃床で地面を叩いた。わたしは何度も試行を繰り返した。弾は発射されなかった。わたしの決意は守衛の登場によって遮られた。望みも知りもせぬまま宿命論者となっていたわたしは自らの時が到来していないのだと捉え、計画の実施を他日に先延ばした。もし自らを殺めていたのなら、わたしがそうであった全てがわたしとともに葬られていた。わたしを災厄へと導く歴史は誰にも知られぬままであった。名のない不幸な群衆の数を増すだけであり、血痕で追われる負傷者のように自らの悲しみの跡を追われぬままであった。

 これらの描写に動揺しこれらの狂気の真似を試みるだろう人々、わたしのキメラによってわたしの回想録に執着するだろう人々は、死者の声だけを聞いているのだということを思い出さなくてはいけない。わたしが決して知ることのない読者よ、何も残らなかった。わたしを裁いた生きし神の手のなかにある自分以外は、わたしのものは何一つ残らない。

 ひとつの病、混乱したこの生の果実が、ミューズの最初の着想と情熱の最初の攻撃を招いた苦悩を終わらせた。わたしの精神を酷使したこれらの情熱、未だ曖昧な情熱は地平線のすべての箇所から吹き出す海の嵐に似ていた。無経験の水先案内人たるわたしは不確かな風に対し帆のどちら側を向けるべきか知らずにいた。わたしの胸は腫れ、熱がわたしを捉えた。コンブールから五六リュー離れた小さな町バズージュに、ラ・ルエリ侯爵の事件で息子が一役買うことになる、シェフテルという名の名医を探しに行かせた。彼はわたしを注意深く診察し、薬を処方し、いまの生き方から抜け出ることが特に必要だと述べた。

 わたしは六週間危機に瀕した。ある朝母が寝台の横へと座りに来て、言った—— 《決断のときです。お兄さんがあなたのために権益獲得を手筈を整えました。だけども神学校に入るまえに、よく検討しなくてはなりません、聖職者の道を選ぶことをわたしが望むのであれば、破廉恥な司祭よりかは立派な人物としてのあなたを見たいからです。》

 ここまで読み進めてきた内容から、敬虔深い母の提案が時宜を得たものであったかどうかは判断できる。生の重大な出来事において、つねにわたしは避けるべきことを迅速に知り得ていた。名誉の動きがわたしを急かした。神父であれば、わたしは愚かに映った。司教であれば、聖職の威厳がわたしにのしかかり、祭壇を前にして恭しく引き下がることになった。もし司教として徳を得るため努力するのなら、または、悪徳を隠すことで満足するのなら? 前者にとっては自分がとても脆弱であり、後者にとっては率直でありすぎると感じていた。わたしを偽善者だとか野心家だと呼ぶ者たちはわたしのことを殆ど知らぬ。わたしはこの世で成功などしない、なぜなら、とりわけ情熱と悪徳、野心と偽善を欠いているからだ。わたしのなかの第一のものはせいぜい穴あきの自尊心だろう。時折敵を嘲笑うために大臣か王にでもなりたいと思うかもしれない。だが二十四時間も経てば、財布や王冠を窓から投げ捨てるだろう。

 それゆえ聖職には十分なほど強くは惹きつけられていないと母に伝えた。二度目の計画変更を行った。海員には全くなりたくなかった、もはや司祭にもなりたくなかった。残っていたのは軍職だった。それを好ましくおもった。だが如何にして独立性の喪失とヨーロッパ式規律の拘束を耐えるか? 風変わりなことを思いついた。わたしは森林を伐採しにカナダへ、もしくは、その国の君主が有する軍隊での務めを探しにインドへ行くと宣言した。

 すべての人物に認められるコントラストのひとつによって、父は、とても合理的なことではあるが、冒険的な計画で特別に気分を害しはしなかった。父はわたしの躊躇に関し母を叱りつけたものの、わたしをインドまで旅立たせることを決めた。わたしはサン=マロに送られた。そこではポンディシェリ行きに向けて艤装が施されていた。

 二ヶ月が過ぎた。生まれの島に一人でいる自分に気がついた。そこでラ・ヴィルヌーヴが亡くなったのだった。彼女が息絶えたあとの貧相な空の寝台のそばへと死を悼みにいき、わたしがこの悲しい世界のうえで起立し続けることをその中で学んだ柳の小さな手押し車をひと目見た。褥の奥深くから衰えた視線をこの動く籠に注ぐ老女中の姿を思い浮かべた。二人目の母の人生における最後の記念物と向かい合ったわたしの生における最初の記念物、世を辞する際に自らの乳飲み子のためラ・ヴィルヌーヴの淑女が天に送った幸福の願いのアイディア、どこまでも変わりなくあった結びつきの証し、全く無私無欲で、とても純粋であり、これらが愛情と後悔と感謝でわたしの心を引き裂いた。

 わたしの過去は、それ以外、何一つとしてサン=マロに残っていなかった。港では徒にも遊戯にその縄を用いていた船舶を探した。それらは旅立ったか、解体されていた。町では、わたしの生まれた邸宅がオーベルジュに改装されていた。わたしが揺りかごに触れようとしているとき、すでに全世界が崩れ去っていた。幼年時代の場所の余所者としてわたしは、近々新たに傾ぐことになるだろう頭がそのとき地表から数リーニュだけ高く持ち上がっていたことだけを理由に、出会う人々から素性を尋ねられた。どれだけ素早く、そしてどれだけの回数、われわれは自らの存在とキメラを取り替えるのだろう! 何名かの友人が去り、ほかも彼らに引き続く。われわれの人間関係は変化する。いま現在有するものを何一つ持たなかった時代や、かつて有したものを何一つ持たぬ時代は、いつまでも存在する。唯一かつ同一の生をひとは有しない。端から端まで数え上げてみれば多くの生を有してしまっていること、それが彼の悲嘆である。

 以降、同朋を伴わず、わたしの砂の城のかつての目撃者たる浜を探索した。campos ubi Troja fuit[かつてトロイアのあった平野]。海が放棄した岸辺を歩いた。満ち潮に顧みられることのない砂浜が、幻想が引くときわれわれの周りに残す、荒涼とした空間のイメージを提供していた。同胞アベラールは八百年前エロイーズの思い出とともにわたし同様この波を見つめていた。わたしのように、彼は幾隻かの船が逃げ去るのをみていた(ad horizontis undas[地平線の波に向かって])、そして彼の耳は波のユニゾンによってわたしのものと同様あやされていた。コンブールの森から運んだ不吉な想像に身を委ねながら自らを砕波へと晒した。ラヴァルドという名の岬が道筋における終点の役目を果たした。その岬の先端へと座り、この上なく苦い思考のなかで思い出したのは、同じ岩々が祭りの時期にわたしの幼年期を匿ってくれたことだった。わたしはそこで涙を呑み、同朋たちは喜びに酔いしれていた。もはや愛されているだとか、幸福だとかは感じなかった。様々な気候のなかで日々を費やすためすぐに故郷を去る手筈を整えた。これらの省察は死ぬほどわたしを苦しませ、わたしは波間に身を投じたくなっていた。

 一通の手紙がわたしをコンブールへと呼び戻す。わたしは到着し、家族と夕食をとる。父上はわたしに向けて一言も発さず、母はため息をつき、ルシルは悲嘆に暮れているようである。十時には退席する。わたしは姉に問いただす。彼女は何も知らなかった。翌朝の八時に使いが来る。わたしは降りてゆく。父が書斎で待っていた。

 《騎士殿——とわたしに向かって言う——お前さんの狂気を解かねばならない。お兄さんがお前さんのためにナバラの連隊少尉の免状を手に入れた。お前さんはレンヌに向けて出発し、そこからカンブレーへと向かう。これが百ルイになる。大事に使いなさい。わたしは年寄りで病気だ。もう長くは生きられない。誠実な人物として振る舞い、決して名を汚さぬように。》

 わたしを抱きしめた。萎びた厳しい顔が感動を伴ってわたしのものに押し当てられるのを感じた。わたしにとってこれが父による最後の抱擁であった。

 わたしの目を通して恐るべき人物に映っていたシャトーブリアン伯爵は、このとき、わたしの愛情に最もふさわしい父であるようにしか見えなかった。やせ細った父の手へと身を投じ、涙した。父は不随に襲われ出していた。それが父を墓へと導いた。左腕は右手で押さえつけなければならない痙攣性の動きをみせていた。わたしが何者であるのか考える余裕も与えず、緑の庭で待機していたカブリオレまで連れて行ったのは、そのようにして腕を制止しながら、そして、わたしに古い剣を手渡してからだった。前方に乗車させた。外階段の上で泣き崩れる母と姉にわたしが目で別れを告げるなか、御者は発進させた。

 わたしは再び池の土手道まで登った。ツバメたちの葦、水車の小川と牧草地を見た。城に視線を投げた。そして、罪を犯したあとのアダムのように、見知らぬ土地へと進んだ。世界はすべてわたしの前にあった: and the world was all before him[そして世界は全て彼のまえに]。

 爾来、三度だけコンブールへの再訪を果たしている。父の死後、喪に服したわれわれは遺産を分け合い、互いに別れを言い合うためそこに集まっていた。別の機会には、コンブールまで母に付き添った。母は城の家具に気を取られていた。ブルターニュに義姉を連れてくるはずの兄を待っていた。兄は訪れる気配すら見せなかった。すぐに兄は母の手により準備された枕とは別の枕元を若い妻とともに死刑執行人の手から受け取った。最後に、三度目のコンブールはアメリカ行きのためにサン=マロへと乗船しに行く途中横切っている。城は放棄されており、わたしは管理人宅まで降りていかねばならなかった。大きなメル通りを彷徨いながら、打ち捨てられた外階段、扉、閉じた窓を暗い道の奥から垣間見たとき、気分が悪くなった。難儀しながら村へと戻っていった。馬を呼びに使いを送り、わたしは夜半飛び立った。

 十五年に渡るの不在のあと、再びフランスから去り聖地へと足を踏み入れる前に、急いでフージェールへ家族が残したものを見渡しに行った。わたしの存在のこの上なく生き生きとした部分が結びついている野原の巡礼に取り掛かる勇気は持たなかった。このわたしになったのはコンブールの森のなかでのことであり、そこでわたしは生涯に渡って引きずり続けてきた物憂さ、責苦と幸福を生んだ悲しさの最初の侵害を感受し始めた。そこでわたしのものとわかり合える心を探した。そこでわたしの家族が集結し、そして離散するのを見た。父はそこで名誉を回復した自身の名前と邸宅改装の資産を夢見た。時代と革命が一掃した別のキメラである。六人の子息であったわれわれのうち、三人より他は生き残らなかった。兄、ジュリー、そしてルシルはもういない、母は痛みのあまり辞世し、父の遺灰は墓から引き上げられた。

 もしもわたしの作品がわたしより生き永らえるのであれば、もし名をひとつ残さねばならぬのなら、ひょっとすればある日、これらの回想録に導かれて、わたしの描写した場所へと何らかの旅行者が訪ね来るかもしれない。彼は城を識別できるだろう。だが大きな森は徒に探すこととなる。わたしの夢の揺りかごはそれらの夢のように消え去った。岩の上に単独で立ち留まり、古い天守は自らを囲んで荒天から保護した昔の同朋たるオークを悼む。天守のように孤立して、天守のように周囲で日々を華やがせ逃げ場所を貸し与えた家族が凋落するのを見つめた。幸福なことに、わたしの生は青年期を過ごした塔ほど確かには地上で築かれておらず、人間は雷雨にたいし自らの手で建てた記念碑ほども抗わない。